ふと、耳に声が届いた。
流れるような
弾むような
透き通るような
強くて儚い
うたう、こえ
(研究室に差し込む光と貴方に捧げる愛の唄)
どうも自分は戦いに向いていないと思う。
情けを、どうしてもかけてしまうのだ。
彼にも言われた。
(アワイ、お前はどうも甘いようだ)
(如何しようもないのだ、此れが主の意思なのだから)
わかっている、と答えるけれど
やはり甘さは抜けきれないか。
「トラン」
彼の島は湖がたいそう綺麗で、底までもが透き通って見える、素晴らしい島だった。
「こっちだ、アワイ!」
随分後ろから声がすると思ったら、何やら手に抱えて走ってきた。
赤くて、まるくて、
甘い匂い。
「...林檎?」
そうだ林檎だ、と彼は笑って一つを取り上げる。
「友人から分けて貰ったのだ。なあ、アワイ。
此れでパイなどを作ったら美味しいとは思わんか?」
子供のように笑って嬉しそうに。
一つを手に取り、そうだな、と此方も笑った。
彼のことはトランと呼んでいる。
本当はトラデスカンティアと言う。植物に因んでの名前だが、如何にも長すぎる。
彼もそこの所は同じく思っているので自らトランと呼べ、と言ってきたのだ。
彼はゲッコウヤグラにしては、大分落ち着きが無いと思う。
同じ年端なのだがな。
いつまでも、友として居たかった。
いつまでも、そう、死ぬ時は一緒だと思っていたのに。
視界が一度見えなくなり、何が起きたのかまったく分からなかった。
目の前が、気持ち悪い程の、躑躅色に染まり。
これは
まさか
血?
「.........!!!!!」
左眼が
熱くて冷たくて
痛くはないのだが、痛くは...
どうやら血は左眼から溢れているようだ。
どくどくと
どくどくと
「アワイ!!」
トランの声が、響く。
目の前を見ると、カマキリが鎌を振りかざしていた。
ああ、私はもう死ぬのか
主に付き合わされて、もうどのくらいになるか
もう血を見ることもなくなる
なにもかもみなくてよくなる
さようなら、トラン
トラン
トラン?
「駄目だアワイ!!!」
トランが目の前に飛び出して
声を出す事も
手を伸ばす事も出来ないまま
酷く鮮やかな躑躅色が
宙を舞う
「歌...?」
どうやら研究室のようだな。
主がなかなか会いに来ないので、こうして散歩を楽しむ毎日。
あれ程忙しく戦いに出向いていたのに。
(やぱり研究室か)
一歩踏み入ると声がハッキリと聞こえる。
(ジュリエット様ではないだろうが...)
見れば彼女は睡眠を取っている。
そういえば珍しくまったく他の者が居ない。
寧ろ、奇妙と言うほど静まり返っている。
どういうことだ...?
さらに奥に入ってみる。
自分が今まで入ったことの無いくらい、研究室のさらに奥。
大きな窓から眩しい光が差し込んでいて
桃色...いや、寧ろ銀色に近い、長い髪が風にそよいでいるのが見て取れた。
歌声の主は、如何やらこの少女のようだ。
「こんにちは、お嬢さん」
せっかくこんなに奥まで来てみたのだ。
少し話してみようと思い声を掛けてみた。
だが
「きゃあ!!」
その少女は驚いたように声を出し、その場に蹲ってしまったのだ。
「...!」
勿論驚いたのは此方も同じ。
いったい如何したのだろうか
まさか具合でも...?
「大丈夫ですかおじょうさ...」
「駄目です!!!!」
蹲ったまま、彼女は答えた。
いや、叫んだと言ったほうが正しいのかもしれない。
「わ、私に近づかないでください!」
薄桃色に光る銀の髪が揺れた。
顔を、隠しているようだ。
「私は何もしませんよ、ただ、貴方の歌声を聴いて此処まで来ただけです」
素直にそう述べた。
すると彼女はピタリと動かなくなり
そのままゆるゆると起きると、顔を見せることなく
「 う た を き い た の で す か ? 」
囁くように、歌うように呟いた。
「...そうだが?」
少しの疑問符を頭に浮かべたが、そう答えた。
少女は、少し頭を傾げた。
ふわりと、髪が動く。
「うたを、きくことが、できたのですか?」
囁くように、歌うように
「聴くことが出来たも何も、お嬢さんの声は研究室中に響いていましたよ」
不思議な子だ。
そして何より無垢だ。
もしかしたら、自分の事を警戒しているのかもしれない。
後ろを向いたままの彼女に微笑む。
「とても綺麗な歌声だった、だから思わず此処まで来てしまったのだ。
駄目だっただろうか?ならば私は失礼するよ」
小さくお辞儀をしてくるりと向きを変えた。
「待ってください」
彼女の声が響く。
振り返ると彼女は立っていた。
だが、
手には松葉杖を
足は膝から下を義足で覆い、
しかも左の義足には罅が入っていて
彼女は今にも崩れ落ちるんでは無いかと思うくらい、必死で立っていたのだ。
「私の歌、普通なら聞こえないはずなの」
か細く、紡ぐ。
「貴方に聞こえたのは如何してなのかわからないの」
一呼吸、彼女が息を吸ったのが分かった。
光に、目が眩むようだと思った。
だが、
「きゃっ!」
彼女が目の前で、体制を崩した。
「あっあぶな」
手を伸ばして、彼女を受け止めた。
(ああ、どうしてあのとき、かれにてをのばさなかったんだ)
「大丈夫か?」
何とか間に合い、彼女は地面に強く体をぶつける事はなかった。
「え...ええ...」
下を向いたまま、彼女は顔を隠すように答えた。
さっきからなんなのだろう?
「どうしてそんなに顔を隠しているんだ?」
びくっと彼女が体を強張らせる。
「...それは」
そう言うと言葉を詰まらせた。
声が少し震えていたのは気のせいだろうか?
「わ...私は、普通じゃないから...」
ふつう、じゃない?
左眼が疼いた。
「私も普通ではないのだがね」
微笑みながら言葉を繋ぐ。
「左眼を無くしてしまってね。今は友人のを借りている」
「え...?」
顔を上げることなく彼女は声を出す。
「良いかい、お嬢さん」
念を押すように声を出す。
「世の中には普通、普通じゃないは無いんだよ」
だからね、
「お嬢さん、怖がらなくても私は何も言わないよ。
あんなにも綺麗な歌を歌うんだ。顔も綺麗に決まっている」
古い友人に言われた事がある。
(アワイ...、君は...如何も顔の赤く成る事ばかり謂うのだな...)
(そんな喋り方では唯の口説き魔にしか見えないぞ...)
まったくだな、トラン。
私の喋り方は、今でも変わらないよ。
君も変わらずに、私の左眼に生きているし。
大きな目。
それに、溶けるような空色の瞳。
「...驚かないの?」
恐る恐る聞く。
「確かに驚きはしたが...、それだけの事だよ」
薄桃色に光る銀の睫に縁取られて
彼女の綺麗な空色の瞳が開いた。
まるで一輪の花が咲くように。
fin.
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アワイさんとトランの過去と、
迂汰とアワイさんの出会いのお話。
ruyoh
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